秘術としての「薬」
薬──それは、もともと人類の共通財産ではありませんでした。
古代において、薬の知識は宗教と呪術と偶然に彩られ、厳重に囲い込まれていました。
たとえば、紀元前2000年頃のメソポタミアでは、粘土板に処方や調合法が刻まれ、神殿や祭司がそれを管理していました。また古代エジプトの「エーベルス・パピルス」には、ケシのチンキ剤で夜泣きの子を鎮めたという記述が残っています。
しかし、一族や祭司、修道士といった限られた人々だけが口伝で継承しました。
薬は「門外不出」の──社会から隔絶された知の体系だったのです。
規制の起源
しかし、そでも閉ざされた知識の時代にも、人の体に影響を与えるものすなわち「薬」を「規制」という考えが現れます。
それは単なる権力の気まぐれではありません。
薬は、神秘的であると同時に、危険きわまりないものでもあったからです。
古代の薬は、薬効と毒の境界があいまいでした。
ケシの乳液も、キョウチクトウの葉も、量を誤れば命を奪います。
そのため支配者や都市国家は、自らの身と秩序を守るために、薬の製造や販売を制限しました。
古代エジプトやギリシャでは、宮廷医や祭司が薬を独占し、処方は門外不出とされました。
また当時であっても偽薬や詐欺も後を絶ちませんでした。
それどころか不老不死を謳うなど、現代よりもより程度の激しい偽薬が存在しました。
効能を偽った薬や、成分を詐称した粗悪品は、人々の命だけでなく社会的な信頼をも蝕みます。
古代ローマではこうした行為を取り締まるために、市場監督官が薬価や品質を監視しました。
例えばローマ皇帝ディオクレティアヌスは、西暦301年の物価令で薬の価格上限を定めています。
これは単なる経済政策ではなく、命を扱う品を市場任せにしないという意思表示でした。
宗教的・政治的権威もまた、薬の規制を生みました。
薬は神の力を借りる儀式の一部であり、その使用は支配階層の特権でした。
中世ヨーロッパでは薬種商ギルドが、イスラム世界ではハキーム(医師)が、特定の薬や製法を扱える唯一の集団として制度化されます。
その資格は血統や長い修行を経た者だけに与えられ、外部者は排除されました。
こうした規制は、表向きは安全と秩序のためでしたが、同時に「薬の知」を限られた者だけのものとして囲い込む仕組みでもありました。
薬は救いの手であると同時に、権力の象徴だったのです。
年表:医薬品規制の骨子(古代〜近世)
科学的根拠の欠如とパラケルススの登場
しかしこれらの規制の背景には決定的に不足しているものがありました。
科学的な根拠です。科学的な根拠――21世紀の皆さんなら、「どの様な化学物質であっても過剰摂取すれば必ず体に害をなす」という事は当然の知識でしょう。
しかし人類がその考えに到達するには、16世紀の医師パラケルスス(1493–1541)の登場を待たねばなりませんでした。
彼の有名な言葉、「すべての物質は毒であり、毒でないものは存在しない。用量こそが毒と薬を分ける」は、近代毒性学の原点です。
もっとも、この原則が世界中で常識となるには時間がかかり、17世紀以降、イアトロケミー(化学医学)を通じて徐々に浸透していきました。
予防という新しい発想:ジェンナー
こうして「薬を安全に使うための科学的視点」は確立されましたが、これはあくまで治療の安全化を目指すものでした。
18世紀末、この流れに全く新しい方向性をもたらす人物が現れます。
天然痘予防接種を生み出したエドワード・ジェンナーです。
彼の試みは、薬や治療法の規制だけではなく、「予防」という新たな概念を世界に広めました。
現代への教訓
医薬品規制の歴史は、決して過去の遺物ではありません。
パラケルススの「用量依存」の原則も、ジェンナーの「予防」の発想も、現代の品質保証・GMPの根幹に息づいています。
歴史を知れば、なぜ今の規制や品質保証があるのかが見え、その理解は未来の品質保証を変える力になるでしょう。
私たちは、規制の起源から最新の国際ガイドラインまでを踏まえ、なぜこのような規制があるのかを共に考え成長する事を目指しております。
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| 年代 | 地域 | 内容 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 紀元前2100年頃 | 古代メソポタミア | ハンムラビ法典に医療行為や報酬・罰則を規定(医師の過失への罰金・身体刑) | Wikipedia「ハンムラビ法典」 |
| 紀元前1550年頃 | 古代エジプト | 『エーベルス・パピルス』に薬物処方と医療規則の記録(王室管理下) | Wikipedia「エーベルス・パピルス」 |
| 紀元前4世紀頃 | 古代ギリシャ | 医師は市民に認可され、薬草・処方が市の規則で管理 | Wikipedia「古代ギリシャ医学」 |
| 紀元前1世紀〜西暦3世紀 | 古代ローマ | 市場監督官による薬価監視、粗悪品販売の取り締まり | Wikipedia「古代ローマ」 |
| 西暦301年 | 古代ローマ | ディオクレティアヌス帝の物価令で薬価の上限設定 | Wikipedia「ローマ帝国の経済」 |
| 9〜13世紀 | イスラム世界 | 病院制度とハキーム資格制、薬局(アプテカ)の許可制 | Wikipedia「イスラム医学」 |
| 13〜16世紀 | ヨーロッパ諸都市 | 薬種商ギルドによる独占的販売と製造基準、免許制 | Wikipedia「薬種商」 |
| 1540年 | イングランド | 王立薬剤師ギルド設立(薬剤師と薬局の規制) | Wikipedia「Worshipful Society of Apothecaries」 |
| 1617年 | イングランド | 王立薬剤師協会に独占的販売権を付与 | 同上 |
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